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大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)10476号 判決 1988年1月19日

原告

辰見由加子

被告

石井秀子

主文

一  被告は、原告に対し、二六一万八三七一円及びこれに対する昭和五九年一二月二六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一七七七万八五一七円及びこれに対する昭和五九年一二月二六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故(以下本件事故という。)の発生

(一) 日時 昭和五九年一二月二五日午後三時三〇分ころ

(二) 場所 大阪府三島郡島本町青葉二丁目一二番一四号先国道一七一号線(以下本件現場という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(八八大阪は三七六)被告運転

(四) 被害車 原動機付自転車(島本町え九〇九)原告運転

(五) 態様 原告は、ヘルメツトを着用して、国道一七一号線を、京都方面から高槻方面に向かい、時速約二〇キロメートルで被害車を直進運転中、被告において、加害車を運転して阪急上牧駅方面より国道一七一号線に進入すべく幅員約四メートルの道路を進行し、本件現場付近に至つたところ、被告進行道路から国道一七一号線に進入するには一時停止すべきものとされているのに、一時停止しないで国道一七一号線に進入したため、加害車左前部を被害車側面に衝突させ、そのため、原告は右前方に投げ出され、被害車の下敷きとなつた。

2  責任原因

被告は、一時停止すべき地点で一時停止せず、また、減速徐行せず、原告が本件現場に進行中であるのを看過した過失により、本件事故を発生させた。

3  受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 原告は、本件事故により、左大腿打撲(筋膜損傷)、全身打撲、頸椎捻挫、肝損傷、左足関節捻挫の傷害を受けた。

(二) 原告は、丸茂病院に、昭和五九年一二月二五日から昭和六〇年一月二五日まで三二日間入院し、同月二六日から昭和六一年一一月五日まで通院(実日数四四八日)し、大阪医科大学付属病院に、昭和六一年四月二二日から同年五月七日まで一六日間入院した。

(三) 原告は、昭和六一年一一月五日、症状固定し、次のとおりの後遺障害が残存している。

(1) 両肩胛上神経圧痛あり(正座は可能)、左足関節部内側に手掌大の知覚鈍麻域あり、肩こり。

(2) 左大腿外側に二三・五センチメートルの手術痕あり。

4  損害

(一) 原告は、本件事故当時、大阪教育大学特設音楽課程に在学中で、昭和六〇年三月卒業予定であつた。原告は、将来、声楽家として演奏活動を志しており、このため、右大学卒業後、西ドイツ国立ケルン音楽大学マルギツト・コーベツク教授の保証で、約二年間ケルン音楽大学に留学することが決つていた。

(二) ケルン音楽大学の入学は、昭和六〇年七月の予定であつたが、事前の準備として、西ドイツ政府のドイツ語専門学校に入学し、右学校の「語学証明書」と「在学証明書」の交付を受けないとケルン音楽大学への入学が許可されない。このドイツ語専門学校には、昭和六〇年二月に入学の予定であつたが、本件事故による傷害のため、同年及び翌年のドイツ語専門学校への入学が不可能となつた。ようやく、昭和六二年になり、語学資格が取れたが、結局、右ケルン音楽大学への留学は、二年延期せざるをえなかつた。

(三) 原告の行なう声楽の演奏は、体躯が重要とされ、ことに下半身、腰部、脚部に障害がある場合、演奏に重大な影響を受ける。ことに、本件のように左足関節部に知覚鈍麻の障害を残した場合、芸術的表現に重大な支障がある。また、左大腿外側の手術痕の存在は、女性でことに声楽演奏家を志している原告にとつては、極めて重要な障害となる。原告は、満三〇歳より満五〇歳までの二〇年間、演奏家として活躍が可能であるところ、右各後遺障害によつて、右の間、二〇パーセント程度の減収が見込まれる。

(四) 原告は、本件交通事故により、正規の卒業試験を受けることができず、大学から特別の許可を受けて試験日をくり下げてもらいようやく卒業することができた。

(五) 以上によれば、原告の損害額は次のとおりである。

(1) 治療関係費 九五万八六〇六円

(ア) 治療費 五三万六八三六円

(イ) 入院雑費 五万七六〇〇円

一日一二〇〇円宛四八日分。

(ウ) 通院交通費 一六万四一七〇円

(エ) 医師への謝礼 二〇万円

(2) 逸失利益 一六三七万〇九一七円

(ア) 休業損害 三三五万円

原告は、歌、ピアノ指導、家庭教師のアルバイトをして月一五万円の収入を得ていたところ、本件事故のため、昭和五九年一二月二五日から昭和六一年一一月五日までの間、一年一〇か月と一〇日休まざるをえなかつた。

15万(円)×22file_3.jpg(月)=335万(円)

(イ) 後遺障害によるもの 七五〇万七三一七円

女子、大学卒平均賃金を算定の基礎として、二〇年間、二〇パーセントの労働能力を喪失した。

275万6800(円)×0.2×13.616=750万7317(円)

(ウ) 留学の遅れに基づくもの 五五一万三六〇〇円

女子、大学卒平均賃金の二年分。

275万6800(円)×2=551万3600(円)

(3) 慰謝料 四五〇万円

入通院分二五〇万円、後遺障害分二〇〇万円。

5  損害のてん補 三八〇万一〇〇六円

治療費五三万六八三六円、通院交通費一六万四一七〇円、休業損害三一〇万円の合計三八〇万一〇〇六円がてん補されている。

よつて、原告は、民法七〇九条に基づき、被告に対し、本件事故により原告に生じた右損害のうち一七七七万八五一七円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(四)は、いずれも認め、同(五)のうち、本件事故が交差点での出合頭の衝突事故であること、被告進行道路から交差点に進入する手前に一時停止の標識があること、同進行道路の幅員が約四メートルであることは認め、その余の点は否認する。

2  同2は否認する。

3  同3は、いずれも不知。

4  同4の(一)ないし(四)は、いずれも不知、同(五)のうち、(1)の(ア)(ウ)は認め、その余はいずれも不知。なお、医師への謝礼は、治療と相当因果関係のない支出であり、原告は、大学卒業後就職しないで勉学していたものであり具体的所得がないから逸失利益は発生しない。また、仮に留学が遅れたとしても、原告は、所得を得ていなかつたものであるから、留学の遅れに基づく逸失利益も発生しない。

5  同5は認める。

三  抗弁

被告は、本件交差点手前で一時停止した後、右折進行すべく時速五ないし一〇キロメートルで本件交差点に進入し、中央線を通過して自車の進路に進入しようとしたところ、北から南に進行していた原告において、加害車を発見するのが遅れ、同車が、被害車の進路前方を既に通過していて、そのまま直進すれば衝突しなかつたのに、狼狽して被害車のハンドルを右に切り、既に進路通過を完了した加害車に衝突したものである。右のとおり、原告にも、本件事故発生について、前方不注視、ハンドル操作の誤りの過失があるので、原告の損害額につき三〇パーセント以上の過失相殺をすべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生

1  請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  いずれも成立に争いのない乙第一ないし第六号証、いずれも昭和六二年一月九日撮影の本件現場付近の写真であることに争いのない検甲第一号証各証、原告及び被告各本人尋問の結果によれば、本件事故の態様は次のとおりであると認められる。(なお、本件事故が交差点での出合頭の衝突事故であること、被告進行道路から交差点に進入する手前に一時停止の標識があること、同進行道路の幅員が約四メートルであることとの点は当事者間に争いがない。)

(一)  本件現場は、南北に走る車道幅員約七メートルの道路(以下甲道路という。)と右道路に北東方向から交わる幅員約四メートルの道路(以下乙道路という。)とが交差する信号機の設置されていない三叉路交差点(以下本件交差点という。)内であつて、乙道路の本件交差点手前には一時停止標識が設置され、停止線において一時停止すべきものとされている。

(二)  本件交差点の北東側角には保育所があつて、甲道路の南進車両からみて左、すなわち乙道路方向、及び乙道路の南西進行車両からみて右、すなわち甲道路の本件交差点から北側方向への各見通しはいずれも悪い。

(三)  被告は、加害車を運転し、乙道路を北東方向から本件交差点へ向つて進行し、本件交差点手前から右折指示器を点灯させ、前記一時停止線まで至らないでその手前で一時停止し、甲道路の北進車両の通過を待ち、右方向を見ると甲道路の南進車両がなかつたので、甲道路を走行して本件交差点に進入しようとする北進自転車に注意をしながら、時速約五ないし一〇キロメートルで右方向、すなわち、甲道路の本件交差点から北側を見ないで右折進行し、自車先端が甲道路の中央区分線付近にさしかかつた際、折りから甲道路を北から南へ進行してきた原告運転の被害車と自車左前部とが衝突して初めて被害車が進行してきたことに気づき、急ブレーキをかけて停止した。

(四)  原告は、被害車を運転し、甲道路左側端部を北から南へ本件交差点へ向つて時速約二〇ないし三〇キロメートルで進行していたところ、乙道路から右折してくる加害車に気づいたけれども、加害車において停止するものと軽信し、減速せずそのままの速度で進行し、また、警笛を鳴らして相手運転者の注意を喚起するなどの措置を講じないで進行したところ、加害車が停止せず本件交差点内へ進入してきたため、これとの衝突を避けようとしてハンドルを右に切つたけれども本件交差点内の甲道路の中央区分線付近で前記のとおり加害車左前部と被害車が衝突し、原告は、その場に転倒した。

二  責任原因

右一2で認定した本件事故の態様によれば、被告は、本件交差点を右折するに際し、右方向の安全を十分確認しなかつた点に過失が認められる。したがつて、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

三  受傷及び治療経過等

1  いずれも成立に争いのない甲第二、第五号証、乙第九、第一〇号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第三、第四号証及び原告本人尋問の結果によれば、請求原因3の各事実がいずれも認められる。

2  いずれも成立に争いのない乙第八号証の一ないし四及び第一二号証の一、二によれば、原告の後遺障害のうち左大腿部の手術痕につき、自賠責保険の関係で、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級表の一四級五号(下肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの)に該当すると認定されたことが認められる。

四  損害

1  治療関係費 七五万三八〇六円

(一)  治療費 五三万六八三六円

当事者間に争いがない。

(二)  入院雑費 五万二八〇〇円

経験則上、入院一日につき一一〇〇円の雑費の出捐を要すると認めるのが相当であるところ、原告の入院期間四八日間に要する入院雑費は、頭書金額となる。

(三)  通院交差費 一六万四一七〇円

当事者間に争いがない。

(四)  医師への謝礼について

原告本人尋問の結果によれば、原告の傷害の治療に関し、医師への謝礼として二〇万円出捐したことが認められるけれども、医師へ謝礼をするか否かは、原告の任意の気持ちによるものであるから、右謝礼を本件事故と相当因果関係ある損害として被告に賠償させるのは相当でない。よつて、医師への謝礼二〇万円は、本件事故と相当因果関係のある損害と認められない。

2  休業損害 三〇七万〇四一六円

原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第一一号証によれば、原告は、本件事故当時、アルバイトとして、歌とピアノの指導及び英語や作曲の家庭教師をして月一五万五〇〇〇円の収入を得ていたことが認められる。原告の受傷部位、程度、治療経過等に鑑みれば、原告は、本件事故日から、大阪医科大学付属病院で左大腿部の瘢痕拘縮形成術を受けて退院した(この点は前記甲第三号証により認められる。)月である昭和六一年五月末までは一〇〇パーセントの休業を要し、その後症状固定した同年一一月五日までは平均して五〇パーセントの休業を要したものと認めるのが相当である。そうすると、本件事故による原告の休業損害は、頭書金額となる。

15万5000(円)×17file_4.jpg(月)<59.12.25.~61.5.31>×1=267万(円)

15万5000(円)×5file_5.jpg(月)<61.6.1.~61.11.5.>×0.5=40万0416(円)

267万(円)×40万0416(円)=307万0416(円)

3  後遺障害及び留学の遅れに基づく逸失利益について

原告本人尋問の結果及びこれによりいずれも真正に成立したと認められる甲第六、第一二、第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五八年四月、大阪教育大学特設音楽課程大学院に入学し、本件事故発生時、修士課程に在学中であつたこと、専攻は声楽であつて、昭和六〇年三月卒業の予定であつたこと、本件事故に遇わなければ、必要とされる語学資格等を取得して、同年一〇月から西ドイツ国立ケルン音楽大学に留学することができたであろうこと、前記大学院の卒業は、学校側の計らいによつて昭和六〇年五月に卒業することができたけれども、本件事故による受傷の治療のため、留学に必要な語学資格を取得することができなかつたこと、留学に必要な資格及び諸手続が整つたのは昭和六二年になつてからであり、結局、本件事故のため、留学は二年遅れたこと、原告は声楽家を志ざし、大学院在学中から演奏活動をしていたこと、前記ケルン音楽大学では二年間勉学することになつていること、右音楽大学卒業時に試験を受けて合格すれば、西ドイツ国内で音楽公務員として就職できること、また、右大学を卒業すれば、日本において大学の教員として採用されやすいこと、原告は右のいずれを選択するかは未定であること、声学の演奏は身体全体を用いて行なうため、原告の声楽演奏に関し前記後遺障害による影響が考えられること、以上の事実が認められる。

ところで、原告は、前記後遺障害のため、女子、大学卒平均賃金を算定の基礎として二〇年間にわたり二〇パーセントの労働能力を喪失した旨を主張するけれども、前記後遺障害によつて、原告の声楽演奏にどの程度の影響があり、それがどの程度の期間継続するのかは本件証拠上必ずしも分明ではなく、蓋然性あるものとして前記後遺障害による原告の将来の逸失利益を算定することは困難である。また、原告は、留学が二年間遅れたことによる損害として、女子、大学卒平均賃金の二年分を主張しているけれども、右にみたとおり、原告は、前記大学院卒業後就職せず、さらに二年間前記ケルン音楽大学で勉学した後就職する予定であるところ、右音楽大学を予定どおり卒業でき、さらに原告の希望に沿つた就職ができるか否かは、本件証拠上不明というべきであるから、本件事故により二年間留学が遅れたことから直ちにその分の女子、大学卒平均賃金額に見合う将来の利益の逸失が原告に生じたと認めるのは相当でない。

なお、これらの点については、後記のとおり、慰謝料の算定に際し考慮することとする。

4  慰謝料 四二〇万円

前記本件事故の態様、原告の受傷部位、程度、治療経過、後遺障害の内容、程度、前記のとおり後遺障害の影響による将来の逸失利益及び留学が遅れたことによる逸失利益の算定が困難であること(この点については、昭和六一年度賃金センサスの大学卒女子平均年収の一〇パーセント相当額の一〇年間分程度を斟酌することとする。)等諸般の事情に鑑みれば、本件事故による原告の精神的苦痛に対する慰謝料は、頭書金額とするのが相当である。

五  過失相殺

前認定した本件事故の態様によれば、本件事故の発生については原告にも加害車の動静を注視し、これに応じて適切な衝突回避措置をとらなかつた点に過失が認められるところ、前認定した被告の過失の内容等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として原告の損害額の二割を減ずるのが相当と認められる。そうすると、被告において賠償を要すべき原告の損害額は、前記四の合計額八〇二万四二二二円から二割減額した六四一万九三七七円となる。

六  損害のてん補 △三八〇万一〇〇六円

請求原因5の事実は当事者間に争いがない。そうすると、被告において賠償を要すべき原告の損害残額は、前記六四一万九三七七円から三八〇万一〇〇六円を差し引いた二六一万八三七一円となる。

七  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告に対し、二六一万八三七一円及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和五九年一二月二六日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐堅哲生)

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